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私の歌枕―日比谷公園 [エッセー]

「ポトナム」7月号向け小論
私の歌枕   長沼節夫
 東京都心に広がる鬱蒼とした森を擁する日比谷公園。1903(明治36)年開園というから既に107歳を迎えた。公園に沿う外堀通りを隔てて建つ帝国ホテルの脇に、この一帯の江戸時代の地図が掲げられている。それによれば日比谷公園の敷地はその昔、江戸城に隣接して各藩の広大な大名屋敷が続いていたことが分かる。日比谷公園の敷地には南部盛岡藩、有馬吹上藩、播磨三草藩、肥前佐賀藩、同唐津藩、丹波福知山藩、河内狭山藩、長州岩国藩、安芸毛利藩の各上屋敷が含まれた。それらが明治維新で取り壊され、更地とされた後、全体が陸軍練兵場に変わり、更に先に述べたように、日比谷公園になった。わが国の近代公園第一号である。同公園は日露戦争の講和条件に民衆が抗議運動に立ち上がり、戒厳令にまで至った日比谷焼き討ち事件(1905=明治38年)、避難民らの糞尿で溢れたという関東大震災(1923=大正12年)、戦後の安保闘争の先頭に立った浅沼稲次郎暗殺事件(1960=昭和35年)など世紀を画する大事件の現場であった。公園の一角、日比谷公会堂をホールに持つ市政会館には戦後まで国営の同盟通信社が置かれ、対米英宣戦布告や敗戦を告げたポツダム宣言受諾など、世紀の重大ニュースは全てここから世界に向けて発信されたのだった。また市政会館に近い日比谷野音(野外音楽堂)では年間を通じておびただしい数の市民運動や労働組合の集会が開かれており、その多くはここを出発点として国会方面へのデモ行進に移る。時移ること幾星霜。同盟通信は共同・時事の両通信社および電通に三分割されて市政会館を去り、その後に出来た全国の地域新聞が集まるミニ図書館が今、「ポトナム」誌の校正室ともなっている。
 日比谷公園開園と同時に開業したレストラン「松本楼」もまた、日本近代文芸作品のさまざまな場面に登場してきた。小説では夏目漱石の「野分」から松本清張の絶筆長編「神々の乱心」まで。詩壇では同レストランの前庭で高村光太郎夫妻がアイスクリームを食べる「智恵子抄」の一場面、映画では戦後混乱期の恋愛を描いた黒澤明の「楽しき日曜日」。貧しいが希望に溢れた男女が野音でタクトを振っておどけるシーンなども忘れがたい。公園内各所では今なお毎月のようにテレビドラマの撮影風景を見かける。
さて短歌。「日比谷公園」なる書名は筆者は寡聞にして見つけていないが、古来多数の歌人が詠んできた。その代表は若山牧水で、歌集『白梅集』(1917=大正6年)に「日比谷公園にて」と題して、次の六首を残す。
・公園に入れば先ず見ゆ白梅の塵にまみれて咲ける初花
・公園の白けわたれる砂利みちをゆき行き見たり白梅の花
・眼に見えぬ篭のなかなる鳥の身をあはれとおもへ篭のなかの鳥を
・椎や椎や家をつくらば窓といふ窓をかこみて植ゑたきこの樹
・椎の木の葉にやや赤み見ゆるぞとおもふこの日のこころのなごみ
・冬深き日比谷公園ゆき行けば楮しら梅さきゐたりけり
 「校正に参加した機会に日比谷公園を散策して詠んだ歌です」と言って最近作を披露してくれる同人諸氏も少なくない。筆者はかつて市政会館にあった通信社に勤め、定年後は前述の地域新聞図書館に詰めている。この公園は人生の半分以上を過ごした場所でもあり、ここを詠った拙作がかなりあるのも当然か。生意気な言い方かもしれないが、筆者にとって日比谷公園は自分の中で一種の「歌枕」になりつつある。ここで同人諸賢のお作を紹介したきところだが、取捨選択で礼を失するのを恐れる余り、ここでは恥を忍んで同公園を詠んだ拙作のみを掲げて、拙論の終わりとする次第である。概ね1~12月の順に並べた。
・水仙の固き芽出でて公園に春の予鈴を鳴らす一月
・足元に瑠璃の小花を見つけた日「春到来!」と手紙書き出す
・びっしりとフラミンゴ止まる形して木蓮は今開花寸前
・公園のベンチの隙間の同じ位置今年も羊蹄(ぎしぎし)顔出しており
・車輪梅顔を寄せれば遠き日に祭りで買いし肉桂水の香
・降りしきる桜吹雪に負けまいと楠落ち葉は春の競演
・緑にはこんなに種類があるんだと胸張り語るか五月の公園
・栴檀の薄紫の花房がそよぎ五月よ君来たりけり
・四十雀ツツピツツピと鳴き渡りこずえの彼方きょう五月晴れ
・テーブルに雀らあまた舞い降りて「松本楼」で共に食事す
・夾竹桃のほのかな香りに事寄せてラブレターなど書きたき日あり
・百日紅ビルの谷間の日に映えて日比谷公園九月ついたち
・ 柊がひそやかに香を送り来る十一月の日比谷公園
・ ひそやかに咲き密かに香る柊の如き少女に我はあこがる
・昨夜まで鳴きいし蟋蟀の声絶えて落ち葉踏む音のみの寂しさ
・年の瀬の日比谷公園に給食(めし)を待つ失業者の列今年は長し
(了)

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