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田君が訪ねてくれた [エッセー]

 今日(2019年09月16日 月曜日) 午後は、日本企業の中国上海支社勤務の田浩(でん・こう)君が訪ねてくれた。羽田空港に着いてその足でというのも何故か嬉しい。初対面は1994年夏、黒竜江省ハルビンだった。中国残留孤児をテーマにした演劇「再会」を東京や長野県飯田市で上演した。是非中国で見てほしいと思い立った作者らが中国大使館に相談したが、色よい返事がもらえなかった。それならばと当時、国会記者クラブ詰めだった筆者が親しかった土井たか子委員長と宇都宮徳馬参院議員に相談すると、両議員とも素晴らしい計画だ。中国側にも協力をお願いしてみようと約束してくれた。

当時、中国側から信頼が非常にあつかった。両国会議員からの呼びかけに応じて一転、「歓迎します」の返事が来た。公演は遼寧省瀋陽と黒竜江省ハルビンの、大道具・小道具のお運搬は中国軍が引き受け、撫順とハルビンで観光。北京では日中演劇人同士の交流会。中日友好協会主催の小宴と最大級の配慮である。劇団員でだはないが、筆者と妻もボランティアで同行することにした。「旧満州」の両都市では、敗戦時、生き別れたいわゆる残留孤児の女性らが会場やホテルを訪ねてきて、短い時間ながら交流を重ねた。



  田浩君はハルビン会場で席が近かったこともあって片言の日本語で妻に質問してきた。「広辞苑の巻末にある活用でどうしても分からない点があるので教えてほしい」「黒竜江省大学学生で、あなたが身元保証人になってくれれば日本で勉強できる。それが夢だ」と訴えた。妻はその場でOKした。やがて来日して桜美林大学に学び就職、一貫して同じ会社で働き、ここ10年は上海支社の開設・運営に努めた。
その間に結婚して今や2児の親。かつて中国では漢民族に限って一人っ子政策が続いた。北京では、「1人は誇りだ、2人は多すぎる、3人は恥ずかしい」というポスターをよく見かけた。田君は「僕は日本にいたんでかなりの罰金を払って生みました」とペロリと舌を出した。一人っ子政策は2016年から廃止された。中国から戻る度に欧米の一流ブランドを土産に持ってきた。そして「ご希望あれば何でも用意します。ただ全部ニセモノですよ」と言って笑った。今回は上海の月餅詰め合わ。これは本場の本物だ。おわり

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