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映画 「ミケランジェロ・プロジェクト」をみて [エッセー]

  それでなくとも病院の夜は長い。9時にライトがほぼ消えて、10時にはテレビもオフ。画面がカーテンに反映して、隣の患者の!安眠を妨げるのでダメ出し。それで昼間呼んだ日経日曜版に触発されてプライムムービー経由、映画「ミケランジェロ・プロジェクト」(2015年米、クルーニー監督)」をみる。手元にあるタブレット画面は小さいがそこは我慢ガマン。日経日曜版「美の粋」、今回は「ナチスの略奪・上」8月25日付、「同・下」9月1日付。独ヒトラーは大戦下、自国や周辺国から絵画を略奪して、「総統美術館」を造ろうと広言していた。対象はミケランジェロの聖母子像、ファン・エイクの神秘の子羊、ダビンチの最後の晩餐、フェルメエルの「天文学者」など手当たり次第。正真正銘のドロボー美術館だから正に狂気の沙汰だ。




  これに対し米ルーズベルト大統領は米欧の芸術の専門家による探査・奪還チーム「モニュメンツ・メン」を立ち上げ、欧州各地に派遣した。邦画では原題「モニュメンツ・メン」を思い切って改題している。冒頭、占領下のフランスで名画を入手したナチス幹部が美術館女性職員に乾杯のシャンペングラスを用意させる。それを運ぶ前、2人がグラスにペッとつばを吐き、さりげなく持って行く。せめてもの抵抗だが、印象的なシーンだった。11旧日本陸軍では憎らしい上官にメシを運ぶ前、部下らが語らって、ドンブリの中にフケをかけたものだ。とこれは何人もの元兵士から聞いたことがある。




  略奪美術品はナチスが知恵を絞って分散・隠匿したため、場所の特定も大変だった。ドイツ国内や占領地の廃棄された岩塩坑や銅山などだった。チームは戦渦に巻き込まれて次々と犠牲を出しながら摘発を進め、元の美術館や持ち主に届けたという。戦後70年余り。盗まれた美術品60万点のうち、まだ10万点が行方不明のままという。筆者は友人のG・ヒールシャー元「南ドイツ新聞」記者(東京在住)の話を思い出す。若い弁護士時代、美術品盗難事件を扱ったが、知り合いのユダヤ人がアウシュビッツなど強制収容所に連行された後に、空き家から絵画をせっせと運び出したケースが多数あったという。




  日経8月25日付(下)は、ナチスドイツが1937年、ミュンヘンでヒトラーはお気に入りの大規模美術展と、糾弾すべき「退廃美術展」とを同時開催したことを伝え、今年4月公開の映画「ヒトラーvs.ピカソ」(C・ポリ監督)で詳しく紹介されていると書いている。退院する機会があれば見たい1本だ。2019・9/11
2019-07-31田君が訪ねてくれた ブログトップ

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